基本、イタリアの生活について、そして美しく美味しいイタリア、日常生活を交え、書いていますが、自分の日本の家族についても、書かずにはいられなくなったので、少しずつ、書いていくことにします。
まずは、今日感じたこと。
愛とは。
本物の愛とは。
日本に住む妹とチャットで両親の話を聞いていると、本当に虚しくなってくる。
自分の脳みそ、内臓が、地面に落ちる感覚。
私が子供の頃の母は、美しく、優しく、頭がよく。
それが覆されたのは、いつからだろうか。
彼女の心に大きくて深い傷があることは確か。
ずっとずっと前から。
ある時期を境に、彼女の本性が、娘たちに見えるようになり。
娘たちを心身共に傷つけ続ける彼女。
鬱、共依存、嫉妬。
本人は、辛いのだろうが、病気という実感がなく、病院に連れていくことすらできない。
歳を重ねるごとに、状況はひどくなっているとのこと。
そして、私は、父のこと以上に、将来がある、妹、姪、甥のことが心配。
私は、自分自身を守るために、母から離れた。父も母に感化され、狂うこともあり、
彼らから離れた。
彼らを相手に、戦うことに疲れたから。
逃げることの大事さを学び、自分自身の人生を大事にしてよいことを優先した。
もしかして、もしかして、私や妹のように、今、辛く苦しんでいるかもしれないから、
気が向いたときに、少しずつ、書いていこうと思う。
彼らのことを考えること、過去を思い出すこと、そして書くことは、かなりのエネルギーが必要で、そう簡単でないから。
それと、今は、書く事が、気持ちの切り替えをしてくれるのかな。
東京にいるときは、仕事柄、日々子供たちと接していて、子供たちの笑顔、そして音楽が、私を前向きにさせ、そしてまた前を向いて歩くことができた。
そして、イタリアの家族。
イタリアの家族も、色々と問題があるけど、なんだかんだいって、愛が根底にある。健康的な愛が。
喧嘩するときは、その場で、言いたい放題言って、数ヶ月連絡を取らないなんてことがあったとしても、知らないうちに仲直り。
義父と、来週からの同居。
ウンブリアでの同居より、ここモンツァの私たちの家での同居は楽なはず。
でも、今の生活より、面倒なのは確か。
でも、義父にしても、親戚にしても、人間として、当たり前かもしれないけど、基本的なレベル以上に、人を思いやる気持ちがあるから、私は、何が起こっても驚かないし、どんなこと言われたとしても、許せる。
私は、結婚後、姓を変えた。主人の名前に。
イタリアでは、通常、結婚しても、女性は姓が変わりません。
旧姓のまま。
私は、自分の旧姓自体は、嫌いではないので、結婚後苗字を変えるかどうか悩みました。
ちょうど、同時期に、妹が、離婚をし、旧姓に戻り、そのことに対して、母が嫌みを言い続けたり、妹に対する、精神的虐待がエスカレートし、そんなことにも怒りを感じ、そして、数々の親の許せない言動を思いめぐらせると、同じ姓でいるのは、吐き気がするので、私は姓を変えました。
イタリアで、正式的に、旦那と同じ姓に変えるのはあり得ないので、インターナショナルな感覚を持っていないイタリア人には、理解しがたく、面倒なときもありますが。
まずは、ミラノの日本領事館で、姓の変更をしましたが、日本人職員から、散々、イタリアの身分証明書などその他のイタリア側の変更手続きが、超面倒よと脅されましたが、そうでもないです。というか、そう神経質に、一度に、全部変えようとしなければ。
義父は、自分勝手なところ、たくさんあるけど、ウンブリアで孤独。
孤独。
孤独ほど、辛いものはないと思う。
そして、特に歳を取れば一層。
今回の同居。
私たちにも、色々な意味で、余裕ができてきたから、義父との同居が受け入れられる。
私は、自分の親に、親孝行がしたくてもできないから、義父の同居は、喜んで(というと語弊あるか。。笑)受け入れました。
これだけは言っておく。
私がこうして、生きているのは、両親のおかげ。
育てくれたことには、とても感謝している。
ベアだけでなく、義父も一緒のこの家。もしかしたら、義父の犬も連れて来るのかもしれないし、どうなることやら。
当たり前かもしれないけど、自分の家は、愛がいっぱいで、仕事や外から帰ったときに、誰もが落ち着ける場所、そして、一番安全な場所にしたい。
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