ミラノに戻り、やはり我が家は落ち着く。
この家も、色々と問題があり、解決していかないと行けないが。
私の携帯が使えなくなったり、今度はこの家に戻ってきて、ネットがつながらず、
携帯は昨日解決したが、ネットはまだつながらない。ここ2−3日に解決すればよいのだが。
今、再度、出発点に発ち、色々と思うこと、そして、義父との短い同居生活について、書き留めておこうと思う。あとで、ブログにアップすることにする。
昨夜、ようやく、携帯がつながり、先日、病院まで付き添ってくれた、親戚のロベルタにお礼のメッセージを送った。そして、義父が相変わらず飲み過ぎて、大騒ぎして、私たちは、耐えられず、即ミラノに戻ったことを知らせた。ロベルタは、既に昨日朝、去年暮れまで数ヶ月、義父の住み込み介護をしていたウクライナ人に、義父の家の前で会ったので、私たちがミラノに戻ったことは知っていた。
今週末の流れ。
土曜一日中、私たちは病院→義父は家で1人ワインを飲む→私たち帰宅後一緒にディナー→食事中もワイン→そして大げんか。義父、私たちに、出て行け!などその他罵倒→主人、耐えられず、キレ出した。そして、一瞬呼吸困難。→ミラノにすぐ戻るしかないと、決断。→夜11時、カンナーラを去る→翌早朝4時にミラノ到着→義父は、私たちの同居前に2ヶ月ほど、義父のお世話を住み込みでしていた、ウクライナ人に電話。→即、ウクライナ人が義父宅に戻る。→そして、義父の以前までの日常が戻り、私たちのミラノでの日常も取り戻される。
ロベルタからは、ミラノに戻って正解だと言われた。義父は、もう手に負えないからと。
私たち以上に、義父のことをわかっている。そして、彼女も、介護で色々と苦労、経験していて、先日病院で数時間待たされている間、同居についてなど、アドバイス、そして、義父とのことでアドバイスをもらっていたところだった。
とにかく、ロベルタから、主人の健康のためには、ミラノに戻って正解と言われ、私が突発に下した決断が間違っていなかったと更に確信した。