2016年3月11日金曜日

ラザニア

ラザニアは、よく行くミラノの大衆食堂的なトラッテリアで美味しく食べれるから、
普段、自宅ではあまり作らない。
それに、ラザニアは、ミートソースの他に、ベシャメルソースもたっぷり入っていて、
カロリーが高いから。
ベシャメルソース、イタリアでは、市販のものでも、美味しくできるけど、
私は、あまり市販のものは好きではないので、自分で作っている。
私の母も、いつも自分で作っていたから。

ただ、やはり、ヘルシーに食べるように心がけてる我が家では、
ベシャメルソースは、バターを使わず、オリーブオイルで。
オリーブオイルのみで、軽く仕上がり、美味しくできます。
お好みで、バターとオリーブオイル半々にするのも、美味しいかと思います。

私のベシャメルソースの分量は、

オリーブオイル 80グラム
小麦粉 80グラム
牛乳 1リットル

です。

ラグー(ミートソース)も色々なレシピがあります。
以前は、伝統的なレシピで、バターを使って、ひき肉の他に、パンチェッタを使っていたが、美味しいけど、重たい。。きっと、若者の友達が来たときには、このレシピで作るだろうけど、普段、2人の食事のときは、できるだけ、軽めに。
今日は、シンプルに、タマネギ、セロリ、人参のみじん切りをオリーブオイルで炒め、ひき肉を加え、トマトソースで煮込んだ。
他のレシピとして、よく作るのは、ひき肉の他に、サルシッチャもいれて、トマトソースで煮込む。これも、深い味になり美味しい。




再び、プロントソッコルソ(救急病院)

午後から、プロントソッコルソへ。

主人の肺炎は、抗生物質のおかげで、かなりよくなっているようだが、
相変わらず、エモグロビンが低いせいか、少し歩くだけで、息切れをしてしまい、疲労感が激しいらしく、家で寝ていることが多く。

2013年から、プロントソッコルソにお世話になることが多く、プロントソッコルソ→即入院となったのが、2度あるから、行きたがらず、不安で、昨夜は眠れなかったらしい。

朝、ゆっくり起きて、ゆっくり準備をし。
いつもお世話になっている、モンツァにあるサンジェラルド病院のプロントソッコルソに到着。
受付で、テッセラサニータリア(健康保険証のようなもの)を提示し、症状を説明し、血圧、体温、呼吸の検査。そこで、受付の人から、一枚の紙を渡される。
そこには、個人情報の他に、患者の重症度を示すトリアージが書かれている。
主人の場合、2度ほど、受付から、紙すら渡されず、ダイレクトに診察室に運ばたことがあり、そのときは、きっと重症度で一番上の赤、もしくは黄色のトリアージだったんだと思う。もちろん、その際は、即入院。
受付を終え、主人が、"何色?"と。
で、私、その紙を見ると、まず目に飛び込んだのが。
その紙には、誰が同伴したか、妻、夫、恋人、とかかかれているところがあり、
そこに、なんと!
"娘"と!!大笑い。主人は、怒り狂い、受付に戻り、文句を言いに。
年の差はある方だけど、普段は年齢の割には、若く見えるはずの主人。
体調悪いから、受付の人にそう映ったのか。それにしても、私と主人、全く似てないし、私がイタリア人ならともかく。。
とにかく、受付の後、笑える余裕があったのも、あまり大ごとにはならない要素かと。
それに、受付に文句を言いに行く余裕すらあったわけだから。
ちなみに、トリアージの色は緑。緑は、緊急を要さない色。
一番、軽症が、白。その次が、緑、そしてその上が、黄色、赤。
待合室に、それほど人がいなかったけど、皆、イライラしながら自分の番を待っていた。14時の段階で、11時から待ってると言ってる人もいた。
主人が、診察室に呼ばれたのは、1時間後。待ち時間としては、とても短い方。
まず、診察、心電図測ったり、血液検査、レントゲンなどをした。
でも、そこからが長かった。
アイスティーを飲みながら、ひたすら待ち。

呼ばれたのが、夕方17時半。しかも、アナウンスで、診察室に呼ばれたのではなく、ドットーレ(医者)が、待合室まで呼びにきた。血液検査の結果、やはり、まだエモグロビンの数値が低いとのことで、輸血を要すると。
血液の準備などあるから、輸血するまで、2時間ほど待ってとのこと。主人、ドットーレに歯向かっていましたが、もちろん待つしかなく。
今夜は、ラザニアを食べたいとちょうど話していたところだったから、主人を病院に置き、私は、スーパーマーケットまで行き、食材を買い、自宅に戻り、ラザニアを作り。そして、主人から、輸血、診察などすべて終わったと、夜7時半に電話が来て、チワワのプーパと共に、車を飛ばし、病院まで迎えに。
輸血後、大分気分が良いらしく、体調もかなり良くなっている様子。
顔色も、数時間前とはまったく違い。
まだ、肺炎の方も数日前より良くなってはいるものの、まだ完治していないとのことで、再度、抗生物質の処方箋をもらい、エアソル(吸入器)を自宅で使うようにと。
あと、10日後に、また血液検査をすることと。

それにしても、午後から夜にかけて、相当時間がかかったけど、輸血できて、本人の体調もよくなり、気持ちも落ち着いたので、やはり行ってよかった。そして、本人を待たせてる間に、私が家に帰って、ラザニアを作る余裕があったのも、不思議な感覚と共に、幸せに感じた。今までは、本人をプロントソッコルソに置いて、私1人で帰るときは、いつも、即入院のパターンで、家に、下着や入院セットを急いでパッキングして、再度病院に戻っていたから。





2016年3月9日水曜日

今年のサンレモとマエストロ

今更だが。。

毎年2月に開催されるサンレモ音楽祭。
たくさんの国民が注目している音楽祭である。
私も、そのうちの1人。
毎年、話題性に富み、サンレモが開催されている間は、
友人達の間でも、前の晩のサンレモで、どの歌が良かっただの、この歌手が好きだの、
歌手や司会者達のドレスや髪型を批評し合う。
この時期に、美容院に行くとやはり、美容師との会話は、"昨夜のサンレモ、観た?"から
始まる。
サンレモのある夜は、テレビに釘付け。(RAI 1)

ゲストも毎年豪華。
今年は、歌手のLaura Pausini, Eros Ramazzotti, 女優のNicole Kidmanなど。
そして、ピアニスト、指揮者、作曲家である、マエストロEzio Bossoが登場した。

サンレモの観客も、そして自宅でテレビで観ている人々も、このEzio Bossoの魅力に
引き込まれていった。

イタリアでは、あまり知られていない音楽家だった、Ezio Bosso。
サンレモの舞台に、車椅子で登場したときは、誰もがまず思ったことは、
"この人、誰?"だったに違いない。
しかし、彼の発する言葉に、それぞれが引き込まれ、彼の純粋な感情、シンプルだけど、深い言葉、そして、フレンドリーな人柄に、感動した。
オーケストラのメンバーで、感動を隠しきれず、涙する人もいた。
次の日、各メディアでも大きく取り上げられ、インターネット上、Facebookなどソーシャルメディアでも、高く評価され、Ezio Bossoの美しい言葉と音楽に、そして人柄に感動したことを、わかち合った。演奏後、スタンディングオーベーション。その際、彼は言った。
"音楽とは人生と同じ。人生で、1人で生きて行けないのと同じで、音楽も、"みんな"で作り上げるものなんだ。"と。

もちろんすべてイタリア語だが、サンレモの様子を。司会者との会話は、イタリア語がわからなくても、彼自身の人柄が画面を通してでも伝わるような気がする。司会者とのやりとりのあとに、ピアノ演奏があるので、ぜひ。
http://www.rai.tv/dl/RaiTV/programmi/media/ContentItem-306e05f7-a102-42fb-bf8b-dfeca642a88c.html

彼は、イタリア、トリノ生まれ。
2011年にイタリア語でSLA、日本語でいう筋萎縮性側索硬化症と診察された。脳や末梢神経からの命令を筋肉に伝える運動ニューロン(運動神経細胞)が侵される病気で、難病の一つである。

彼は、自分の病気について話すことを好まない。2011年に、SLAにかかり、それ以来、すべてのことに時間がかかる、スローな人間になったと。日々、自分の身体に向き合い、理解する時間を必要をすると。また、ピアノの演奏法も変わった。筋肉の問題の影響で、指の力が十分にないため、自分のピアノの鍵盤をすべて、作り替え、キータッチを軽くした。でも、自分には、ピアノの鍵盤を撫でることができるから嬉しいと付け加えた。ネガティブのことをポジティブに変えようとする力があり、実際に変えてしまう強さを持つ、このマエストロに、魅力を感じる。

彼の音楽も、彼の言葉、人柄と同様。
繊細、力強さ、本物、純粋さを1つ1つの音、旋律から感じとれる。

彼の音楽、そして言葉に、私も励まされる。

サンレモ直後に書かれている記事を読んでみて、まず印象に残っていることは。

自分の病気について、病気と呼ばず、"事故"や"地震"と呼ぶ。
人それぞれの人生には、今までたどって来た様々な歴史(出来事)がある。
それは、良い事、悪い事ということで括るのではない。しかし、それぞれの出来事に、色がある。 それは、悲しみ、絶望、陽気であったりする。
僕が一番嫌で、避けたいのは、"つまらない"ことだ。
だから、この病気(地震)は、全く自分を飽きさせない、と。
そして、彼の地震については、恐ろしい経験であるが、素晴らしいこともないわけでないと述べた。
更に、未来について聞かれると、未来については考えないと。いつも、一日の終わりのことだけ考えている、未来について考えるのは、とても怖いと。

すべて同感である。いつも、自分の気持ちの中で思っていたことであり、彼のこの言葉で、私も確信が持て、一歩一歩、ゆっくりでも前に進むための勇気が持て、笑顔になれる。

彼自身は、ロンドン在住。彼のピアノは、トリノ在住とのこと。トリノのバローロ宮殿に、彼のピアノは住んでいるとのこと。そこで、年に2回、無料で彼のレッスンが受けられるそうだ。子供たちからプロの音楽家まで、様々な音楽家が集まるらしい。一度、ぜひ受けてみたい。

Ezio Bosso
http://www.eziobosso.com/it/

2016年3月8日火曜日

イチゴとクレーマ

この季節のドルチェは、イチゴが定番。
イタリアの他の家庭もきっと同じだと思うが。
数週間前、NYから友人夫妻が来たときにも、このイチゴをデザートに。
翌日、義父が、義弟夫妻のところにディナーに行った際も、デザートはイチゴとクレーマ
だったらしい。

クレーマとは、クリームのこと。大抵、マスカルポーネチーズのみで作るのが、一般。
ティラミスで作る際に作るマスカルポーネのクリームのレシピ。
我が家は、最近、マスカルポーネと生クリーム、1:1の量で、クレーマを作っている。
マスカルポーネだけでも、もちろん美味しいが、とにかく、マスカルポーネは、カロリーが高い!だから、マスカルポーネに生クリームを加えることで、とてもデリケートに、多少ライトな感じに仕上がる。以前、親戚が、我が家に食事に来た際に、手作りティラミスを持ってきてくれて、そのときのクリームが、マスカルポーネと生クリームを合わせてあり、とても美味しくて、それ以来、定番となっている。

イチゴのこのデザートも、評判が良いので、レシピという程でもないけど、どの国でも、イチゴさえあれば、簡単にできるデザートなので、載せておく。


1. イチゴを洗う。

2. イチゴを切る。切り方は好みで。私は、いつもスライス。

3. オレンジを絞る。(大体イチゴ500グラムでオレンジ2個分)

4. イチゴに絞り立てオレンジジュースを加え、砂糖をスプーン2杯加える。(砂糖もお好みで)

5. スプーンで適当にかきまぜ、冷蔵庫で冷やす。

6. 最低一晩冷やす。
上の写真は、昨夜に準備して今日のお昼のイチゴの様子。フレッシュオレンジジュースに浸かり、更に、イチゴからの汁がでて、既に美味しいが、夜の方がもっと美味しいと思う。

クリームのレシピ
1. 生クリームを泡立てる。

2. 角が立つぐらい泡立ったら、砂糖をスプーン2杯加える。(クリーム250CC。砂糖の量はお好みで。我が家はいつも甘さひかえめ)

3. マスカルポーネチーズを少しずつ加えながら、更に泡立て器で泡立てる。というかかきまぜる。

4. なめらかに、マスカルポーネと生クリームがなじんだら、できあがり。




ファッションの国

イタリアはファッションの国と言われている。
そして、実際に、ファッションの国である。

友人や家族の間でも、誰々は、服のセンスが良いだの悪いだの
話すことが多い。
私の場合、親戚と会うときも、着ている洋服やアクセサリーについて、鋭く観察されているから、手抜きできない。そして、綺麗な色使いなどは、お互いで褒め合い。

そして、色使いなども、日本人の感覚とは全く違い、国民性か、小さい頃から、
養われているからか、センスが良い人が多い。
もちろん、センスゼロで、全く服装に気を使わないイタリア人も大勢いるが。

身近な事から言うと。
主人が長い入院生活から退院して、最初の頃は、服を着るのも一苦労で、私が着替えを
手伝っていた。以前、元気だった頃は、もちろん、自分でワードローブから服を選び、自分でコーディネートをしていたが、退院後は、そのコーディネートも私の仕事となった。まず。いちいち、うるさい。このパンツは嫌だの、あのパンツに、このシャツは合わないだの。洗濯物をためてしまい、靴下が、パンツと同系色のものがないと、機嫌が悪くなり。私は、自分で言うのも何だが、日本では、センスが悪い方ではないと思っていたが、主人には負ける。小さい頃から、色合わせの感覚など身に付いているよう。

義父との生活から離れ、1つだけ、残念に思うことがある。
義父は、毎朝、新聞(1.5ユーロ)を買いに行き、午前中は、新聞を読むのが日課となっている。そして、午前中ドタバタの私は、ランチの片付けが終わり、義父、主人が昼寝し出すと、義父が読み終わった新聞を読むのが日課となっていた。
この、ネット社会で、そしてこのイタリアで、新聞を読むということがなく、ポルトローナ(肩肘椅子)で、紅茶を飲みながら、新聞を広げるのは、何年ぶりからか、とても新鮮に思えた。
義父が読むのは、もちろん一般紙。
ミラノで、毎年行われるファッションウイークが、2−3週間前にあった。
ちょうどミラノのファッションウイークがあった週に、私たちは、ミラノにいた。
義父も一緒に。もちろん、ここでも、毎朝、車を飛ばして、近所まで新聞を買いに。
その週は、私も通訳の仕事があったり、その他諸々、忙しくしていたので、中々新聞に目を通すことができず。
今回、急遽、自宅に戻り、新聞を整理しながら、目を通すと、ファッションウイーク特集で、数ページにわたり、毎日、記事が掲載されていた。
更に、週末も、ファッション関係のニュースがたくさん。

日本でいうと、例えば、朝日新聞や読売新聞に、Vogueやファッション誌に載るような写真や記事が掲載されているような感じなので、日本人の私からすると、とても新鮮に感じると同時に、やはりこのイタリアは、ファッションの国であることを思い知らされる。
テレビニュースも同じ。ファッション関係のニュースを、普通のニュース番組で、特にファッションウイークの際は毎日、どのようなファッションがトレンドか、報道されている。

それほど、ファッションは、このイタリアに住んでいると、身近に感じる。

もちろん、インターネットで、それぞれの新聞のサイトに入り、読めるが、1つ違うところは、広告。イタリアの新聞の広告は、やはり、ファッションブランド関係が多い。今まで、私が知らなかったブランドなどの広告が一面になっていたり、広告自体を見るのも興味深い。

2016年3月7日月曜日

ミラノにスターバックス上陸予定!

数週間前のニュースで、来年、2017年に、イタリア初のスターバックスがミラノにできるとのこと。

イタリアにスターバックス。

なんだか、妙な感じもするが。

それは、イタリアには伝統のコーヒー(エスプレッソ)文化があり、コーヒーの味にはうるさい。こだわりがある。スターバックスのコーヒーとは、別物である。

イタリアはバール文化。バールで、朝仕事前に、コーヒーを一杯、立ち飲みをし、お昼食べ終わったときに、またコーヒーを飲み、友達と待ち合わせをするのもバールだったり。
アペリティーボ(一杯飲みながら、おつまみを食べる)ができるバールもたくさんある。
スターバックスは、コーヒーを飲みながら、お店に流れるジャズを楽しみ、ゆっくりくつろげるソファーがあり、ちょっとPCを使い、仕事を片付けられる空間でもあったり、友達とおしゃべりを楽しむ空間でもある。都内で、イタリア語を、個人レッスン受けていたのも、スターバックス。イタリアのバールでは、バールで仕事をしたり、ましては語学レッスンをしたりなんてことは、あり得ない。あと、読書をしたりなんてことも、スターバックスでよく見かける光景だが、イタリアのバールではあり得ない。

果たして、スターバックス、このイタリアで、受け入れられるのか。
多少の疑問は個人的に感じるところだが、ミラノだからこそ、うまく行くのではとも思う。ここ数年、ローマに行っていないから、なんとも言えないけど、ミラノは、比較的、インターナショナル。バールやちょっとしたティールームなど、ロンドンにあるような、モダンでおしゃれなお店もよく見かける。特に、中心街に。やはり、イタリアの若者に好まれるんだと思う。
そして、ミラノには、外資企業もあるし、ファッション関係の人々もたくさんいるから。
ミラノでは、現在、イギリスのマフィン、カップケーキが流行っていたり。
カップケーキの専門店もあったりするから、スターバックスも、きっと流行るのではとも
思う。開店したら、行ってみたいと思う。


更に、アメリカ企業進出のついでに。
ナポリにアップルが進出するとのこと。iOS App Development Centerを開設し、アプリ開発の指導などをするらしい。
アップルが脱税で、イタリアの財務警察に調べ上げられ、問題に。その解決策の1つとして、アップルが、イタリア政府に、ナポリでアップルを作ることにより、雇用を増やすとの打診。政治的進出である。





老人と介護女性、義父のこと

イタリアで最近、問題となり流行っているケース。
老人男性が、妻を亡くし、1人になると、住み込み介護の女性を雇い、家のこと、そして食事から、下のお世話まで、すべて任せる。もちろん、老人女性もだが。この、住み込み介護の人のことを、イタリア語で、バダンテと呼ぶ。大体、外国人女性。東ヨーロッパ、ポーランド人、ウクライナ人が、特にウンブリアには多い。あと、ロシア人やルーマニア人も多い。もちろん、謙虚に仕事をする人々もいるだろうが、最近、問題として話題になっているのが、このバダンテの女性達、お金目当て、結婚詐欺、保険金、遺産狙いが少なくない。あるイタリアの有名人男性が亡くなり、彼の遺産が、家族に渡らず、すべて介護女性に持って行かれて、テレビで家族が怒り狂っているのもよく目にする。

義父もそのケースの1つ。
まず、簡単に、義父のことを話すと。


 義父は、元々、ウンブリア、カンナーラ出身。そして年頃に、奥さんとなった美人な女性と出会う。彼女は、劇団女優で、劇団公演のために、イタリア中を周り。親も劇団で働き。あるとき、ウンブリアでの公演に、義父は見に行き、そこで、女優に一目惚れ。そこから、しつこいぐらい、猛アタックをして、全国公演にずっと付き添い、一緒に周る。
彼女は、元々、北のコモ近辺出身で、ミラノで2人は結婚。
義父は、モンツァのイタリア某バイク会社に就職。2人は、モンツァ住み、息子2人を育てる。バイク会社では、優秀だったのか、マネージャー、取締役レベルまで就き。
彼の友人は、モンツァやミラノの銀行の重役。テニスを一緒にする仲だったり。あと、何人か、政治家とも友達だったらしい。
ウンブリアからモンツァに引っ越し、実家ウンブリアに住む、義父の父親が亡くなると、母親、そして妹達をミラノに呼び寄せ、妹達は今でも、ミラノ。そして息子達も、モンツァ近辺在住。
奥さんは、10年程、癌と闘い苦しんだ。奥さんを説得して、モンツァの家やアプリカの山の別荘も売り払い、今住むウンブリア、カンナーラの家を購入し、病気の奥さんを連れて引っ越した。そこから、ずっとカンナーラ。奥さんである、主人の母は、10年ほど前に他界。他界後、すぐに、ポーランド人の住み込み介護の女性を雇い、公私ごっちゃにして、彼女に恋してしまう。でも、もちろん、彼女は、お金目当て。義父は、ペンシオーネ(年金)、月2400ユーロほどもらっているらしい。そして、彼女に給与として、700ユーロ。プラス、彼女は、ヘビースモーカーで、毎回のタバコ代(1パック5,20ユーロ)を払ってあげ、もちろんワインや食事はタダ。彼女も酒飲みで、本当に義父には良い飲み仲間でもあった。プラス、以前は、アペリティーボだの外食だの。
カンナーラの村で、手をつなぎ、キスをしながら、2人で散歩する姿は、村中で笑い者になっていた。彼女は、家族同然で、うまく演じきっていたのだが、彼女の計算が狂ったのは、ここ数年のこと。持ち家、そして年金や貯金をたくさんもっている義父、そして、息子の主人は、数年前まで、超リッチ。そして、もう1人の息子も、それなりに稼いで、ある程度優雅に暮らしている。だからこそ、彼女の良いターゲットだったんだと思う。
しかし、主人の経営する会社が、数年前うまくいかなくなり、更に、病気で、4ヶ月の入院生活。仕事、財産をすべて失い、退院したとはいえ、このイタリア経済で、ただでさえ、仕事を見つけるのは困難。更に、健康がなかなか取り戻せず、まだまだ、2年後の今でもまだ時間がかかっている。父親に経済的に援助してもらうしかなく、時々送金をしてもらい。そんなことが、彼女は気に入らず。更に、遺産相続の話しになり、彼女にも一部行くはずが、息子の心配をして、彼女を相続から外し、去年夏、彼女はキレて、ポーランドに戻った。その後、また戻って来たりしたが、色々あり、もう戻らない。
でも、介護女性との生活に慣れきってしまった義父。
息子との生活より、介護女性との生活を選ぶ義父。
私たちが、昨日ミラノに帰って、既に昨日朝からウクライナ人女性と住む義父。
若い頃は、優秀であったはずの義父。
病気で働けない、そして経済的に苦しい思いをしている息子の気持ちがわからない義父。
孤独に耐えられない義父。

老い、孤独、依存、アルコール、精神安定剤。

人間は脆い。すぐにでも、壊れてしまうほど、デリケートで、繊細な心を、それぞれが持っている。ときには見せることも大事だが、弱さとどのように付き合って行くか、それぞれが抱える課題である。

老い。どのように年老いていくか。老いていく自分自身にどう向き合い、どう他人と接したいか、自分が年老いたときのことを、考えさせられる。

化粧品の衝動買い

この悶々とする普段の日常については、こちらのブログ、“ピアノピアニーノ”  https://ameblo.jp/pianopianino/ に書いていますが。 週末、久々のミラノでの衝動買い。 化粧品! ミラノは週末によく行っていても、あまりゆっくりショッピン...