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2016年7月7日木曜日

家族



庭のオリーブの木を見上げながら。

基本、イタリアの生活について、そして美しく美味しいイタリア、日常生活を交え、書いていますが、自分の日本の家族についても、書かずにはいられなくなったので、少しずつ、書いていくことにします。

まずは、今日感じたこと。

愛とは。

本物の愛とは。

日本に住む妹とチャットで両親の話を聞いていると、本当に虚しくなってくる。

自分の脳みそ、内臓が、地面に落ちる感覚。

私が子供の頃の母は、美しく、優しく、頭がよく。

それが覆されたのは、いつからだろうか。

彼女の心に大きくて深い傷があることは確か。

ずっとずっと前から。

ある時期を境に、彼女の本性が、娘たちに見えるようになり。

娘たちを心身共に傷つけ続ける彼女。

鬱、共依存、嫉妬。

本人は、辛いのだろうが、病気という実感がなく、病院に連れていくことすらできない。

歳を重ねるごとに、状況はひどくなっているとのこと。

そして、私は、父のこと以上に、将来がある、妹、姪、甥のことが心配。

私は、自分自身を守るために、母から離れた。父も母に感化され、狂うこともあり、

彼らから離れた。

彼らを相手に、戦うことに疲れたから。

逃げることの大事さを学び、自分自身の人生を大事にしてよいことを優先した。

もしかして、もしかして、私や妹のように、今、辛く苦しんでいるかもしれないから、

気が向いたときに、少しずつ、書いていこうと思う。

彼らのことを考えること、過去を思い出すこと、そして書くことは、かなりのエネルギーが必要で、そう簡単でないから。

それと、今は、書く事が、気持ちの切り替えをしてくれるのかな。

東京にいるときは、仕事柄、日々子供たちと接していて、子供たちの笑顔、そして音楽が、私を前向きにさせ、そしてまた前を向いて歩くことができた。

そして、イタリアの家族。

イタリアの家族も、色々と問題があるけど、なんだかんだいって、愛が根底にある。健康的な愛が。

喧嘩するときは、その場で、言いたい放題言って、数ヶ月連絡を取らないなんてことがあったとしても、知らないうちに仲直り。

義父と、来週からの同居。

ウンブリアでの同居より、ここモンツァの私たちの家での同居は楽なはず。

でも、今の生活より、面倒なのは確か。

でも、義父にしても、親戚にしても、人間として、当たり前かもしれないけど、基本的なレベル以上に、人を思いやる気持ちがあるから、私は、何が起こっても驚かないし、どんなこと言われたとしても、許せる。

私は、結婚後、姓を変えた。主人の名前に。
イタリアでは、通常、結婚しても、女性は姓が変わりません。
旧姓のまま。
私は、自分の旧姓自体は、嫌いではないので、結婚後苗字を変えるかどうか悩みました。
ちょうど、同時期に、妹が、離婚をし、旧姓に戻り、そのことに対して、母が嫌みを言い続けたり、妹に対する、精神的虐待がエスカレートし、そんなことにも怒りを感じ、そして、数々の親の許せない言動を思いめぐらせると、同じ姓でいるのは、吐き気がするので、私は姓を変えました。
イタリアで、正式的に、旦那と同じ姓に変えるのはあり得ないので、インターナショナルな感覚を持っていないイタリア人には、理解しがたく、面倒なときもありますが。
まずは、ミラノの日本領事館で、姓の変更をしましたが、日本人職員から、散々、イタリアの身分証明書などその他のイタリア側の変更手続きが、超面倒よと脅されましたが、そうでもないです。というか、そう神経質に、一度に、全部変えようとしなければ。

義父は、自分勝手なところ、たくさんあるけど、ウンブリアで孤独。
孤独。
孤独ほど、辛いものはないと思う。
そして、特に歳を取れば一層。

今回の同居。

私たちにも、色々な意味で、余裕ができてきたから、義父との同居が受け入れられる。

私は、自分の親に、親孝行がしたくてもできないから、義父の同居は、喜んで(というと語弊あるか。。笑)受け入れました。

これだけは言っておく。

私がこうして、生きているのは、両親のおかげ。

育てくれたことには、とても感謝している。

ベアだけでなく、義父も一緒のこの家。もしかしたら、義父の犬も連れて来るのかもしれないし、どうなることやら。

当たり前かもしれないけど、自分の家は、愛がいっぱいで、仕事や外から帰ったときに、誰もが落ち着ける場所、そして、一番安全な場所にしたい。

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2016年3月11日金曜日

再び、プロントソッコルソ(救急病院)

午後から、プロントソッコルソへ。

主人の肺炎は、抗生物質のおかげで、かなりよくなっているようだが、
相変わらず、エモグロビンが低いせいか、少し歩くだけで、息切れをしてしまい、疲労感が激しいらしく、家で寝ていることが多く。

2013年から、プロントソッコルソにお世話になることが多く、プロントソッコルソ→即入院となったのが、2度あるから、行きたがらず、不安で、昨夜は眠れなかったらしい。

朝、ゆっくり起きて、ゆっくり準備をし。
いつもお世話になっている、モンツァにあるサンジェラルド病院のプロントソッコルソに到着。
受付で、テッセラサニータリア(健康保険証のようなもの)を提示し、症状を説明し、血圧、体温、呼吸の検査。そこで、受付の人から、一枚の紙を渡される。
そこには、個人情報の他に、患者の重症度を示すトリアージが書かれている。
主人の場合、2度ほど、受付から、紙すら渡されず、ダイレクトに診察室に運ばたことがあり、そのときは、きっと重症度で一番上の赤、もしくは黄色のトリアージだったんだと思う。もちろん、その際は、即入院。
受付を終え、主人が、"何色?"と。
で、私、その紙を見ると、まず目に飛び込んだのが。
その紙には、誰が同伴したか、妻、夫、恋人、とかかかれているところがあり、
そこに、なんと!
"娘"と!!大笑い。主人は、怒り狂い、受付に戻り、文句を言いに。
年の差はある方だけど、普段は年齢の割には、若く見えるはずの主人。
体調悪いから、受付の人にそう映ったのか。それにしても、私と主人、全く似てないし、私がイタリア人ならともかく。。
とにかく、受付の後、笑える余裕があったのも、あまり大ごとにはならない要素かと。
それに、受付に文句を言いに行く余裕すらあったわけだから。
ちなみに、トリアージの色は緑。緑は、緊急を要さない色。
一番、軽症が、白。その次が、緑、そしてその上が、黄色、赤。
待合室に、それほど人がいなかったけど、皆、イライラしながら自分の番を待っていた。14時の段階で、11時から待ってると言ってる人もいた。
主人が、診察室に呼ばれたのは、1時間後。待ち時間としては、とても短い方。
まず、診察、心電図測ったり、血液検査、レントゲンなどをした。
でも、そこからが長かった。
アイスティーを飲みながら、ひたすら待ち。

呼ばれたのが、夕方17時半。しかも、アナウンスで、診察室に呼ばれたのではなく、ドットーレ(医者)が、待合室まで呼びにきた。血液検査の結果、やはり、まだエモグロビンの数値が低いとのことで、輸血を要すると。
血液の準備などあるから、輸血するまで、2時間ほど待ってとのこと。主人、ドットーレに歯向かっていましたが、もちろん待つしかなく。
今夜は、ラザニアを食べたいとちょうど話していたところだったから、主人を病院に置き、私は、スーパーマーケットまで行き、食材を買い、自宅に戻り、ラザニアを作り。そして、主人から、輸血、診察などすべて終わったと、夜7時半に電話が来て、チワワのプーパと共に、車を飛ばし、病院まで迎えに。
輸血後、大分気分が良いらしく、体調もかなり良くなっている様子。
顔色も、数時間前とはまったく違い。
まだ、肺炎の方も数日前より良くなってはいるものの、まだ完治していないとのことで、再度、抗生物質の処方箋をもらい、エアソル(吸入器)を自宅で使うようにと。
あと、10日後に、また血液検査をすることと。

それにしても、午後から夜にかけて、相当時間がかかったけど、輸血できて、本人の体調もよくなり、気持ちも落ち着いたので、やはり行ってよかった。そして、本人を待たせてる間に、私が家に帰って、ラザニアを作る余裕があったのも、不思議な感覚と共に、幸せに感じた。今までは、本人をプロントソッコルソに置いて、私1人で帰るときは、いつも、即入院のパターンで、家に、下着や入院セットを急いでパッキングして、再度病院に戻っていたから。





2016年3月6日日曜日

急遽、ミラノへ

昨日は長い1日でした。 
朝、フォリーニョの病院へ主人を連れて行くため、まずは、義父のランチの準備のため、買いだし。メインは、いつも通り、生ハムにパルミッジャーノ。生ハム(とワイン)さえあれば、生きていけるらしい。  
バタバタと家に戻るとき、隣に住む従兄弟の奥さん、ロベルタに会った。ロベルタから、主人の様子を聞かれ、歩くのも呼吸が荒くなり今から病院に行く旨を話すと、一緒に付き添ってくれると。知らない土地で、まずは初めての病院、勝手もわからず、歩くこともきつい病人を連れて行くのは、初めてではないが、心細い。今回は、ロベルタに一緒に来てもらい、本当に有り難かった。朝11時に病院に入り、緊急と書かれた紙を持っていたにもかかわらず、受付、検査、診察と全て完了して、病院を出たのが、午後4時半。また月曜日に病院に来るようにと言われたが。

私達が病院にいる間、義父は、ワインを飲んでいたらしく、私達が帰り、少し口調がアグレッシブになっていたことから、すぐにわかった。ディナーで、更に3杯飲み、酔っ払い。叫び出し、主人に罵声をあげ、たまりかねた主人もキレ出し。義父は、うちから出て行け!と。その他、色々と汚い言葉を放ち。私達も我慢できず、すぐに荷造りを始め、即、車に乗り、夜11時に実家を出た。そして、朝4時にミラノへ到着。大げんかのとき、ただでさえ、具合が悪く、呼吸苦しいのに、更に、呼吸が荒くなる主人を見て、やはり同居は無理で、ミラノに戻ろうと、一瞬に決断できた。

化粧品の衝動買い

この悶々とする普段の日常については、こちらのブログ、“ピアノピアニーノ”  https://ameblo.jp/pianopianino/ に書いていますが。 週末、久々のミラノでの衝動買い。 化粧品! ミラノは週末によく行っていても、あまりゆっくりショッピン...